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2005年05月06日

PALM(パーム)

実に久々の「PALM」シリーズ新刊、「午前の光(1)」(通算27巻目)を購入したはいいが、あまりにも久々すぎて、前の話のラストなどをほとんど忘れてしまっていた。で、前シリーズ「愛でなく」を引っ張り出して読み返してたら半日過ぎてしまった。長いんだまたこのシリーズが。

作者が「伸たまき」から「獸木野生」に改名したという事を知ったのは去年のことだった。
この人がパリンパリンのエコロジストだということは、「愛でなく」を1冊…どころか数ページ読めば一目瞭然なのだが、あまりにもモロにエコエコな文字、しかもハッキリ言って「同人とかやりはじめた中学生」のようなイタさも孕んでいて、最初は違和感ありまくりだった。
真相は、作者の公式サイト「BIGCAT Studio」でも明かされていた。

(同サイト「改名のわけ」)
2000年6月21日をもちまして、今まで使用しておりました「伸たまき」というペンネームを「獸木野生(けものぎやせい)」と改名いたしました。

ご存知(かどうか)のように、旧ペンネームは20年ほど前に離婚した男性の名前の部分を拝借したもので、かなり早い時期から「死ぬまでには何としても変えなくては」と考えていたのですが、なにぶんひとつのシリーズを書いているためになかなかタイミングがつかめず、今に至ってしまいました。
PALMシリーズが長期休載に入り、新しい出版社での新シリーズ連載が決定したこの機会を逃せば、二度とチャンスは訪れないと考え、改名に踏み切っております。

とゆーことらしい。
いや、人様の事情にどうこういうつもりも権利もないけれど、「本屋で店員さんに伝えづらい著者名になっちゃった」ことと、「獸」という文字が旧字体なので、変換モードの切り替えがメンドくさくなっちゃったことは確かだ。

この獸木野生という作家は、プロのキャリアは短くない筈なのだが、色々な意味でアマチュアリズムを色濃く残していると思う。それは勿論彼女の作品世界を語る上で欠かすことのできない味であり魅力なのだが、サイト自体にもそれが強く反映されていると感じた。
現在に至る自分の人生と創作の足跡を語る「獸木野生の作り方」あたりはまさにそれで、特に前夫氏とのいきさつはエキセントリックを通り越してかなりメチャクチャで、「そこまで赤裸々に書かんでも」という気もしてくる。が、生い立ちを眺めてみると、「青また青」のビダー・ヴォイドのエピソードの大半が彼女の実体験だということに気付く。父の死とその生涯などは、物語の中ではかなり唐突な印象を受けたが、これも実話だったのだねえ。まさか「妊婦をサンドバッグ…」までそうだとは思わなかったけれど。

「PALM」紹介ページでも、キャラクターへの思い入れや「何歳の時にできたキャラクター」「話の原型は中学生の時に…」というような講釈がまた同人風味で、ヒく向きもあろうかと思う(そうでなくても好き嫌いのハッキリする作家なのだが)。ただ、特に初期は時系列などが分かりにくいシリーズなので、作者の意図やストレートなコメントが聞けるのは貴重。

正直、このシリーズはあまりにも長すぎ、キャラクターも多いので、とっつきやすくはない。独特の絵柄、しかも一発目のエピソードに時系列がかなりあとのものを持ってきているので、相当分かりにくい(私も1巻目「お豆の半分」を読んだ時は「これは何かの続編か?」と思った)。
しかしキャラクターに引きずられて、「あるはずのない海(ここでようやくキャラクターの馴れ初めが明らかになる)」「星の歴史」まで読んでゆくと、かなり逃れられない状態になっている。不思議な作品だ。
PALMを初めて読んだのは、大学時代の先輩のところだった。そこで「星の歴史」まで読まなければ、恐らく後になってシリーズを買い揃える事もなかっただろうと思う。
作者の中では、ストーリーの流れは既にラストまで決まっているようだ。
実際には、今回始まった「午前の光」のあとに、さらに「蜘蛛の文様」、最終編の「タスク」が予定されている(のだが、このペースだと2020年付近がラストであろうとも、もっと延びるだろうとも言われている)が、前々作「オールスター・プロジェクト」のラストで、大まかに主要人物のラストに至る流れが淡々と述べられている。
そこで、主役であるジェームスが「妻とともにアフリカに渡り、その後ロスに戻って1988年(作中の時間は現在1984年)に死ぬ」ということがハッキリ示されている。
ただ、「妻」は誰か、どういういきさつで死ぬのかは(おぼろげなイメージが示される事はあったが)不明なので、今後は「誰がジェームスの妻になるのか(ジョゼが言っちゃってる以上はジョイなのか、やっぱり)」「何がどうなって死ぬのか」を見届けたいという欲求がこみ上げてくる。
このくだりを読まなければ、シリーズの購入を続けていなかったと断言できるほど上手い引きである。くそぅ。まあ、一年に何冊も出る作品じゃなし、いいのだが(勿論バンバン出してもらってもいいのだが、今の連載状況ではムリムリムリムリカタツムリなので)。

この作品の最大の魅力はキャラクターにある。と書くとあまりに月並みなのだが、シリーズを読み進んでいくにつれて、どのキャラクターもたまらなく愛しく(サロニーのような悪役に至るまで)なってきてしまうのは「PALM」特有のものだ。
誰が彼らを一番愛しているって、作者がそう公言し続けてはばからないのだが、その愛が読者にもねじれずに伝播し、共有できるというのは凄い事だと思う。
だからこそ、「自キャラへの萌え」を今以上昂揚させて、読者がヒくようなことにならないように、と祈っている。
「愛でなく」では、作者が「容貌も含めて」自己投影させたルージュメイアンというキャラクターが登場し、今度は作者の(創作に目覚め始めた)少女時代を投影したジョイが表舞台に上がってきた。
しかも前者は「ジェームズと人生と魂を共有する存在」であり、後者は「未来の妻(?…かどうかはまだ不明だが、恋人となることは確かだろう)」。二人もってのは多いんじゃないかとちょっと危惧。そのへんをクールにすり抜けてくれるといいのだが…

投稿者 zerodama : 2005年05月06日 23:12

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