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2005年07月13日

トラウマ絵本その2

昨日、「ねないこ だれだ」についてのエントリーやコメントレスを書きつつ、こうしたトラウマ物件が恐怖を醸し出すパターンに、「身近なシチュエーションやアイテムの登場」が大きな役割を果たすのではないだろうか、と思い至った。

大きなモチモチの木が庭にある家はそうそうないが、「おしいれのぼうけん」に出てくる押入れや、板の木目が一つもない家というのはまずない。そうしたものを使う事で、本の中の怖い話が「今そこにあっても不思議じゃない恐怖」に昇格する。
例えば、学級文庫で見た「水木しげるの妖怪事典」では、私の中では「あかなめ」がダントツ恐怖だった。
妖怪の中ではかなり無害な方(桶のアカをなめるだけ)なのだが、浴室というシチュエーションがあまりに身近すぎて、特に洗髪しているときに、「髪をすすいでふと振り返ると、そこにあかなめがいたらどうしよう」という妄想を(よせばいいのに)働かせてしまい、髪を洗うのがなんとも怖かった。

「ねないこ だれだ」の冒頭は、「とけいがなります ぼーん ぼーん」。
せなけいこ独特の貼り絵で、柱時計が描かれた一枚絵。子供の意識がぐっと引き込まれる一瞬だが、思えば「柱時計」に馴染みのある小さい子って、今どれほどいるのだろう?
私と両親が寝ていた部屋には、やや小ぶりの、手巻きの振り子時計があって、本当に「ぼーん ぼーん」と鳴っていた。まさしくあの時計と同じタイプだ。
時計がかつては高級品だったということ、20代くらいの人でも実感できないかもしれない。今じゃ100均でいっちょまえな大きさの掛け時計が買えるし、「なんで老舗の宝石屋が時計を扱ってるのか」謎に思う人も多いだろう。
父と母の結婚祝だか、家の新築祝だかにもらったもので、当時掛け時計はけっこう高価なものだった。職場とか仲人レベルの贈答最適品みたいな扱いだったんじゃないかな。
祖母の家の今の時計もチクタクボンボンなヤツで、納戸にはさらに古くて大きな振り子時計がしまってあった。
今でも振り子つきの掛け時計や置時計はあるが、たいてい時計とは別に振り子用の電池が入っていて、私たちが結婚祝にもらったものは、1時間ごとに音を鳴らすか鳴らさないかを設定で選べて、夜9時以降は鳴らないようにできている。昔の振り子時計は、普段でもチクタク音がけっこうするし、夜中の2時とか3時にも律儀に鳴るので、それで寝入りばなをジャマされた事もよくあった。

しかし、あの絵本の1ページ目が
「とけいがなります ぴぴっ ぴぴっ」とか「とけいがなります りーんりーん」
では全く締まらない。大体あの音は時報であって、アラームではないのだ。
まさにあの「ぼーんぼーん」時計の下で暮らした私は、「おばけなんていない」と分かってた年頃にもかかわらず、「ねないこ だれだ」のおかげで、8時はともかく9時になると「あ、やべ」という心持になったのだった。
このように、アイテムや状況の時代性と絵本の味わいの濃さには多少関係があると思う。
「モチモチの木」のインパクトも、家のトイレが「室内水洗」しか知らない子供と、ばあちゃんちで10年前まで現役だった「外の総木造ボットン便所」をしばしば使用せざるを得なかった私のような子供とでは、恐怖の度合いが違っていたようだった。
とはいえ、「ぼーんぼーん」の時計になじみが薄い筈の今の幼児にも、「ねないこだれだ」の神通力は変わらず効きまくっているらしい。トラウマロングラン絵本のロングランたる実力を感じずにはいられない。

「ねないこ だれだ」の実力を支える一つに、「リズミカルで子供にも覚えやすい文章」もあるだろう。
「ふくろうに みみずく/それとも どろぼう/いえいえ よるは/おばけの じかん」
と、リズムがはっきりしていて言葉が平易なので、覚えたくなくても覚えてしまう。子供にとってはここが曲者で、時計の音を聞いたり文字盤を見たりして、「夜だ」と意識した瞬間に、頭の中で鮮烈に物語の再生が始まり、最後の「おばけのせかいへ とんでいけ」の絵が脳に焼きつく。
そう、「思い出したくないのに思い出してしまう」「考えなければいいのに勝手に脳が再生する」、これこそがトラウマなのだ。
やはり「ねないこ だれだ」こそが、「こどもがはじめてであうトラウマ」であり、なおかつ、「トラウマによって促される行動の行き着く先が『就寝』という教育的な行為である」点が、ロングライフの秘密なのかもしれない。

投稿者 zerodama : 2005年07月13日 14:51

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