« アロマ企画の謎 | メイン | 花粉来襲? »

2005年03月21日

神州纐纈城

★神州纐纈(こうけつ)城(全4巻 講談社)
 原作:国枝史郎 作画:石川賢

仕事が終わってから読了。
国枝史郎の未完の大作を、石川賢が「自分の手で完結させる」と燃えて描ききった。
勿論、ファンであれば「その前に完結させるべきものが色々あるんじゃないのセンセ」とか、そーゆー無粋な突っ込みは当然抱くんだけども、いつもながらの怒涛の迫力に置き忘れてしまうのだった。

 武田信玄の若き家臣・土屋庄三郎は、ある夜更けに道端で見すぼらしい物売りから「布を買わないか」と声をかけられる。深紅の美しさをたたえながらも、あまりに禍々しい色合いために誰も買ってくれない、と物売りが語るその布は、人間の生き血で染められた「纐纈布」だった。物売りはさらに「纐纈城」と、出奔した庄三郎の父のことを語る。庄三郎の運命はその瞬間から激しく大きく揺れ動いていった…
 富士山麓の霧に包まれた謎の水城「纐纈城」では、業病に蝕まれた仮面の城主のため、捕らえた人間の生き血を絞り、臓器を取り出しているという。突如出奔した庄三郎・それを追う鳥刺の高坂甚太郎・塚原ト伝・原作には出てこないんだけど織田信長…がそれぞれの目的で纐纈城の謎に迫る。

 3巻までは(一応)原作の流れに沿ったストーリーで、4巻目が「石川版纐纈城」ということらしい。
 もともとこの話は、「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」にある「慈覚大師が唐に渡った時に、旅人を捕らえて生き血を絞り、その血で染めた布を売るという『纐纈城』に騙されてとらわれ、危機一髪だった」というエピソードに発想を得たものなのだが、もう纐纈城のシーンは「血で血を洗う」というのが比喩でもなんでもねえという凄まじさ。ダイナミックプロの社風にぴったりフィットした世界観の中で、賢ちゃん先生の筆も絶好調なのであった。

 なんと言うかこの、「アニメとか映画にできそうもない」「放映配給できそうもない」「いつR指定ついてもおかしくない」「それどころか回収騒ぎになっても不思議じゃない流血ハラワタっぷり」。これが永井豪ワールドと石川賢ワールドの差なんじゃないかと。
 そしてファンは「こんなにやっちゃっていいの?いいの?」「オレはいいけど!(by「へんちんポコイダー」)」と痺れまくるわけで、それが石川賢的快楽なんじゃないかと。

 原作では、纐纈城主が事切れた(?)ところで終わっており、纐纈城や城主の正体、庄三郎のその後など諸々の謎が投げっぱなしということなのだが、いつも引きずられがちな「虚無ワールド」にトリップすることなく、力技で終わらせながらも後への恐怖も匂わせるというラストは悪くないのでは、と思う。(原作を読んでいないのできっちり評することができないのだが)
 ただ、最終的に神の側が地獄側に勝利するというラストに、なんとなく予定調和的な食い足りなさを感じてしまうのも否めない。おそらく、最近「天国も地獄も関係ないわ~!」な無法パワー炸裂の賢ちゃん作品ばかり読んでいたせいだと思う。ゲッター線、というか石川線の被曝ゲージがますます上がっておる次第。
 ところで、庄三郎を追う甚太郎の仲間として、なぜか剣豪の「黒木豹介」が登場している。
 「極道兵器」にも、「赤虎さん」が登場している(しかもご丁寧にベレッタでヘリでもなんでも兵器で撃ち落す)し、この赤虎さんと容貌が一緒なので、間違いなくあの特命武装検事だと思われ。
 石川先生、黒豹シリーズ好きなのか?好きそうだけど。

 夜中、この物語の原点となった「宇治拾遺物語」の原文をネットで探す。駒澤大学でテキスト化したものもあったのだが、読みやすいPDFも別サイトで公開されていたのでダウンロードして印刷し、読む。思えば古文読むのって久しぶりだなー。この話、文法的に難しいわけでもないので、学校に勤務していた頃に生徒に読ませればよかった(悪趣味)。

投稿者 zerodama : 2005年03月21日 20:38

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://zerodama.s1.xrea.com/zlog/mt-tb.cgi/2

コメント