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2005年04月13日

負け犬についてその後も考えてみた

先日はERAなんて大げさに例えてみたが、「(他人から自分に対するネガティブ評価を)言われる前に自分で言う」のは、欠点を抱えた人間が日常的に行う悲しき自衛手段であり、私も毎日のように言ったり書いたりしているわけだが、欠点まみれの人間ならともかく、既に輝かしい実績も収入もある筆者が言うのってどうなのかねえ。と思うんである。

これは多分、筆者がよりこの本をセンセーショナルにするために、意図的に選んだ言葉なのだろうけども、「私は」でなく「私は」という表現を選んでいる。これが結局は、「ひっかかり」の最たるものではないかと思う。
「筆者が自分をどう宣言しようとも勝手だけど、他の人間の分まで宣言すんなよ」というのが、「大迷惑」の源にある。
自分とその生き方を語る言葉は、人の数だけあるはずなのに、勝手に「負け犬」に収束されてしまうという不快感と理不尽さ。
加えて、多少の誤用を含んで定着してしまったせいで、自分の言葉で自分を語っても、他人から(心中で)「そうはいっても負け犬の…」という言葉に片付けられかねないこと(あるいは、そう思われているのではないかといういらん不安をかき立てること)。
だからこそここまで話題になれたのだろうが、あまりにも乱暴で無頓着、故意であればあまりにも悪意的な言葉の選択だなあ、と思わずにはいられない。「イジワル」ってのがこの人の作風の一つらしいが、文章として個別化と一般化がいまいち上手く行ってない印象を受ける。「辛口」の範疇にとどめるならばもう一声良識が必要だし、「毒」と呼ぶには潔さが足りないのではないか。


「負け犬にならないための10か条」が示されているが、これらが示すものは「いかにも男好きがするように作為した、媚を含んだ、"余分な"社会的主体性を感じさせない態度」であり、また裏を返せば「そういう態度を選択しない私たちは、負け犬かもしれないけどカッコイイ女」という、ザラザラした自意識にも繋がっていると思う。

裏を取っていくとこんな感じになるのだろうか。
 〈1〉不倫をしない
     枠にとらわれずに恋愛を楽しみ、時に不倫という形になってもあと腐れなく謳歌する
 〈2〉「…っすよ」と言わない
 〈3〉腕を組まない

     このへんは、「媚を売って『女らしく』を狙うより、サッパリとさばけた態度」で自然体に生きる、ということだろうか。
 〈4〉女性誌を読む
     女性誌を読まない…で、どんな雑誌を読むのかまではわからないが、恐らく「近代麻雀」とか「月刊GUN」とかを指してはいないんだろうな。時事的、社会的なもの、あるいは専門誌などだろう。社会性を持ち、知的で話題が豊富、という意味合いか。
 〈5〉ナチュラルストッキングを愛用する
     生足、もしくはセクシーな網タイツなどを愛用。網タイツ好きな殿方はけっこう多かろうと思うが、「セクシーだけどちょっと一癖ありそう」という印象があるのは分かる気がする。メイクもそうだが、「ナチュラル」というのは男好きするキーワードの一つであるのは間違いない。そうした「好感度ナチュラル」に前ならえするのではなく、自分のポリシーで装いを選ぶということなのだろう。
 〈6〉一人旅はしない
     一人旅ができる。他人を頼らなくても一人できちんと計画し、管理して行動できる。これが海外であれば、語学力や豊富な知識を備えている事も指すだろう。
 〈7〉同性に嫌われることを恐れない
     同性から好かれる。ざっくばらんで裏表がない。気取らない。異性に媚を売るよりも、同性への義理などを大事にし、わが道を行く。
 〈8〉苗字で呼ばれないようにする
     確かにモテる女性は下の名前で呼ばれることが多い気がする。
     職場などでは、マスコット的に媚を売るタイプではなく、男性と対等に仕事が出来て自我が確立されているタイプ。サバサバしているが故に恋愛対象になりにくい、もしくはスキがなくてガードが固そう、どこか気がおけてしまうタイプ?
 〈9〉「大丈夫」って言わない
     安易に人に頼らず、責任を持って事を成し遂げる。実力に自負があるとともに、甘えベタでもある。
 〈10〉長期的視野で物事を考える
     一瞬一瞬を大事にして楽しむ。もしくは結婚に特化したビジョンについてか。「人生の保険」的な意味合いで結婚を狙い、それを恋愛に結びつける事はしないというニュアンス。

こうしてみると、これらのパーソナリティは総じて魅力的、「できる系の女」のイメージだ。
「こういう女は(結婚相手として)男に選ばれるのが難しい」「非モテにつながりやすい」という10か条でもあるわけだが(確かに一部共感できるものもあるが)、こうした魅力が男性に通じない、ってもんでもあるまいと思う。むしろ筆者の男性観が単純で古いんじゃないかな、とも感じるのだが。

最初に書いたように、実際にこの本を読んでるわけでもないので、この辺でやめとく事にする;

投稿者 zerodama : 2005年04月13日 02:52

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コメント

「週刊現代」を毎週読んでるんで、酒井順子のコラム「その人独身?」もいやおうなく眼につくんだが・・・
根本的にこのヒトの文って、貧乏人を完全無視してるのな。常に自分の周りの人間だけが対象っつうか。
高卒から7年間縫製会社にいたんで、それこそ今で言う「負け犬」の方々はちらほらとは居たが、カッコイイ人はただの一人もいなかった。マジで。
書いてることが全て、自分に都合のイイ解釈にしか見えないんだよなぁ。コレはオレが男だからなのかもしれないが。
総じてこの作者も含めて周辺のヒトは、男を見る目が無いんだよ。きっと。

かくいうオレも、本は読んでなかったりする・・・
毎週、現代読んでるオレもなんだかなぁ。

投稿者 eng : 2005年04月13日 12:01

>根本的にこのヒトの文って、貧乏人を完全無視してるのな。常に自分の周りの人間だけが対象っつうか。

そうですね、特に「常に自分の周りの人間だけが対象」というのは本当にそう思います。経済的にもそうですが、基本的に都会住まいのライフスタイルしか取り扱ってないですね。

「負け犬~」での「勝ち負け」の考え方の一つが「生産」に起因してるそうです。
「勝ち犬」は「子供」という有機物を生産し、「負け犬」は「お金」という無機物を生産する。んで、前者が代替不可能でかつ社会に貢献(再生産)するから優位にある…って論法なんですね。(だから結局「負け犬」の主眼は既婚・未婚よりも子供の有無にあるようです)
でもそうした時点で、「お金という無機物の生産量が少ない(もしくはナイ)人間・労働形態が不安定な存在とかは負け犬の中でもさらに下位」ということになっていく。要するに、自分を負け犬と称しながら、実はものすごく沢山の人間を見下してもいるって構図になってると思います。
というか、地方でしょぼい賃金で働いてる人間とかのことは、engさんのおっしゃるとおり単純にアウトオブ眼中なんだと思いますねー。

投稿者 大道寺零 : 2005年04月14日 07:49