« アウトのいろいろ | メイン | 恐るべし!「花引き」ショック »

2005年04月23日

靖国サイトが独特な件

中国が反感を持つのはまだしも、口まで出してくるのは内政干渉だと分かっていながらも、私が靖国参拝に否定的な考えを持つのは、ひとえに靖国、というか招魂系の神社というものが、神社として非常にいびつなものだと思うからだ。(この件については追記に)
で、小泉首相がなんとかフォローの発言をした側から、国会議員が靖国参拝してるんである。
まあこればっかりは春の例大祭だから、「日程ずらせ」と言えることでもないが、空気を読んでもよかったんじゃないかと思う。今回はやめて秋にするとか。
まあ当然中国が面白く思うはずはなく、靖国サイトはDDOS攻撃を受けたのだろうか、と思っていたら、やっぱり落ちてる時間が若干あったようだ。もっとも昨年あたりから恒常的に攻撃を受けているということは、サイトにも書いてあった。今は問題なく見れるようだ。

しかしさすがに独特な神社は、サイトの記事も独特だ。
最新情報でいきなり目を引くのが

奉納プロレス

だったりするあたり、いきなりかましてくれる。
まあQ&Aの内容が、見た目はソフトだがやっぱりキナ臭いあたりは置いといて、

今月の遺書

などというコンテンツが読めるのはこの神社のサイトだけ!
やっぱりサイトまでも、もともと特別なオンリーワンらしい。

狛犬を追いかけて、200以上の神社を巡り、狛犬以外の物件もウォッチしてきた。日本の「神社」「神さま」というものが相当に「何でもアリ」であることは分かっているつもりだ。どこにでもある「薬師神社」なんて、名前からして相当トンデモないけれど、特に疑問をもつ人がいないほど定着している、なんてのが一例。また、境内に慰霊碑・鎮魂碑が建ててあることも珍しくない。それには違和感を感じない。土地の人の慰霊・祈り・風化させまいという気持ちを感じるからだ。ただ、そうした神社には全て本来の祭神がいる。それは天照大神であったり八幡神であったりしつつも、結局は大部分が共同体や豊作・繁栄の神という漠然としたものでしかないのだが、その漠然性によって様々な信仰や祈り・希望と鎮魂といった精神的な営みを一つの緩やかなものにまとめることが可能になっている、と思う。
招魂系神社は、明治維新以降の「国のために殉じた人々の英霊」が祭神である。だからもう、何百万柱ってことになっている。
「人は死ぬと仏」という考えは、仏教本来の思想から言えば大いにナニな理論なのだが、気持ち的に悪くない着陸点であり、同時に寺を大いに潤すシステムの大本でもあったりして、日本の葬式宗教が生まれ、日本人の生活と意識の中に定着した。かてて加えて、神と仏がもうとんでもなくごっちゃになっているわけなので、「死んだ人の霊=神」という図式を抵抗無く受け入れられる人も多いのは頷ける。
まあこれは私の感情でしかないのだが、「辛い思いをして亡くなられた人を、死んだ後まで『神』として、国を守るために働かされるんじゃしんどかろうよ、家に返して楽に眠らせてやればいいじゃないの」と思うのだ。死後は靖国に祀って欲しいと望んだ人ならいいけれど、「勝手に神さまとかすんなよ」って人間も中にはいたんじゃなかろうか。外地で亡くなった方の中には、遺品という形ですら帰れなかった人も多いのに、霊魂まで勝手に持っていかれちゃなあ、と思うのである。仰々しい社殿より、ちまい墓石・しょぼい仏壇でも、家族や想う人のもとが一番ふさわしいし、その人のことを語り告ぐ妻子や親戚も死んだら、もっと漠然とした「ご先祖」という存在になって、それでも子孫からは漠然と大切にされる。そういう形が日本人の精神生活としては自然ではないか、と思うからだ。
まあそんな理由で、招魂系の神社は嫌いなんである(狛犬はけっこう面白いものがあるのだが)。

投稿者 zerodama : 2005年04月23日 03:10

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://zerodama.s1.xrea.com/zlog/mt-tb.cgi/80

コメント