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2005年09月01日

「毎日かあさん」論争

「毎日かあさん」論争、表現の自由か教育的配慮か : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

文化庁メディア芸術祭賞を受賞した漫画「毎日かあさん」を巡り、作者の漫画家西原(さいばら)理恵子さん(40)と東京・武蔵野市の間で論争が起きている。

 西原さんの長男(8)が通う同市立小学校が、西原さんに「学校を作品の舞台にしないでほしい」と申し入れたためだ。

 「表現の自由への圧力」と抗議する西原さんに対し、市側も「正当な教育的配慮」と譲らない。双方が文書で主張を繰り返す事態となっており、9月2日の同市議会でも取り上げられる予定だ。

 問題となったのは、授業参観の場面。主人公の母親が、落ち着きのないわが子を含む児童5人を「クラスの五大バカ」と表現し、ユーモアを交えつつ、子どもの成長を見守る内容だ。

 この場面が紙面に載った直後の昨年11月、長男の担任の女性教諭(40)が西原さんを学校に呼び出し、「迷惑している」「学校を描かないでほしい」と注文をつけた。

 西原さんは翌12月、毎日新聞社の担当者と同小学校に出向き、校長らに「保護者だからといって、編集者を通さず作者を直接呼びつけるのは非常識だ」と抗議。校長らは「学校に落ち度はない」と主張したという。

 西原さんは、父母の一部から「学校とトラブルを起こすならPTA活動に参加しないでほしい」と告げられたのを機に、今年6、7月、弁護士を通じて市側に「作品はあくまでフィクション」「公権力による表現の自由の侵害ではないか」などの文書を送った。これに対し、市側は、「他の児童や保護者への配慮をお願いした」「作品中に『武蔵野市』の固有名詞もあり、児童の人権に教育的配慮を求めることは当然」などと、8月までに2回、文書で回答した。

最初にこれ関連の記事を見て思ったのは、高校生時代に学校を相手取って訴訟を起こした過去のあるサイバラのこと、学校相手のバトルでは一歩も引くまい…と思ったのだが、公式サイトコメントを見ると、そんな予想とは全然違うことになっていた。

それによると、
・学校とは、最初の呼出そのものに関しても話がついており、担任との関係は良好
・その後PTA活動からハブられたために再び文書で抗議
・武蔵野市からは「学校が指示して西原氏を排除している事実はない」と回答
・今回の休業の原因は、この件で心身に不調をきたしたため
・表現の自由や人権を求めての抗議ではない

ということで、Webニュースでの記事・報道とはかなり齟齬があるのだが、さて。

これまで長年サイバラ作品を呼んできた人にとっては、このコメント、あまりの殊勝さに驚くかもしれない。自分もそうだった。
ここでつっぱって、矢面に立つのが自分だけであれば彼女もそうしたかもしれない。
しかし学校での話、戦いと混乱の最前線にいるのが息子さん本人ということを思えば、やはり「おかん」としての対応をしなければならなかったのだろうか、と思った(娘ももう少しすれば同じ学校に入るのだろうし…)。
これは「角が取れてしまった」とか「毒が薄れた」というより、ただひたすらに「おかん」であるから、ということなのかもしれない。

それにしても、学校・武蔵野市側の主張で「武蔵野市と特定した部分もあり」というくだり、「アレ?そんなの載ってたっけ?」と思い出せずに、「毎日かあさん」を再読してみた。
確かにあった。一ヶ所だけ。
「お入学編」の67P1コマ目。しかも、学校の場面ではなく、息子と友達が公園で遊ぶシーンの説明ネームとして。

「私の家の近所に公園があり そこの池には 武蔵野市中の子供がめんどくさくなって捨てたミドリガメが大量に生息している」

という一文だ。
さ、さりげない…正直注意して読みながらも、あまりにさりげなくてスルーしてしまうところだった。
学校の場面に「武蔵野」という言葉が入っているならまだしも、ここだけ(まあ、武蔵野に住んでるということは分かる文だが)でこんなに大騒ぎしなくても。
この騒動で初めて、「あ、サイバラって武蔵野市に住んでたんだ…」ということに気付いた読者は多いのではないだろうか。
学校やPTAの皆さんよ、「学区や学校が特定されるおそれが…」という懸念を否定するわけではないが、過度に反応する事でかえって「武蔵野市の公立小学校のどれか」ということが特定される事態になってることに気付いてるかな?

私は、「毎日かあさん」を読んでいて、幼稚園やら小学校、父兄や子供のようすが、「なんかおおらかでいいところなのかな」という印象を受けていた(もっとも学校に呼び出される場面は「お入学編」に書いてあるが)のだが、現実は色々違っていたようだ。
同作では基本的に、(バカもズルいのもひっくるめて)子供と、子育てに向かい合う親たちに相当愛が注がれているのが特色(ゆえに、子梨にとっては時折読むのがヘビーであるほどに)なのだが、初めてサイバラ作品に触れる人には毒々しいものに見えたのだろうか。

投稿者 zerodama : 2005年09月01日 10:53

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コメント

この事件、わたしも注目しています。
校長やPTA会長がこういう反応をしたことは、ある程度仕方がないのかもと思うのですが、妙に煽るような記事を書いた読売の記者に猛烈に腹が立っています。
あと、西原の親としての節度が伝わってきて、実はちょっと感動しました。
うまく解決できると良いのですが、記事になることで納めていくのは難しくなったように思います。
頑張れ西原。

投稿者 Felice : 2005年09月04日 07:14

*Feliceさん
>妙に煽るような記事を書いた読売の記者
そうですね。
学校側に対しても西原側に対しても今ひとつ公正でないというか…まさに「煽り立てたい」意図というか、何だか妙な温度を感じる書き方というのはすごく感じました。

>うまく解決できると良いのですが、記事になることで納めていくのは難しくなったように思います。

これは憶測でしかないのですが、西原氏がもっとも避けたかったのが、「論争」となってしまうこと自体だったのではないでしょうか。だから具体的な交渉をあくまで書面でやりとりしていたのではないかと思います。このように外部から「論争勃発!」と記事にされること(事実西原氏にはそれだけのニュースバリューがある)は、一番「されたくないこと」だったのでは?と推測します。
かつての土佐女子高裁判のように、自分の行動が元で起こった事件に、自分で判断して行動に移るのではなく、もっとも大きい影響を受けるのがお子さんたちですからね。
この件がきっかけで、息子さんと他の生徒さんや親御さん、あるいは先生までもが距離をおいたり、態度を変えたり、そこまでいかないまでも、「これまでとは違って、自然に接してくれなくなる」状況をなにより避けたいんじゃなかったのかなと思います。

最初はこの記事を見て、「またサイバラは気炎はいてそうだな~」と邪推してしまったんですが、予想以上の弱りっぷりに色々思うところがありました。現実的には、「この作品はフィクションです」的な注意書きを添える・具体的な地名や連想させるランドマーク、行事のことは書かない・人名は全て実際のものとは変える…あたりが落としどころになるのでは?と考えているのですが、これ以上外部に煽られてオオゴトにならなければいいなと思いますね。

投稿者 大道寺零 : 2005年09月04日 14:28